大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

最高裁判所大法廷 昭和26年(れ)2518号 判決 1955年4月06日

主文

本件上告を棄却する。

理由

弁護人山田義夫、同松本嘉市、同向山義雅、同高橋義一郎の上告趣意第一点について。

一、所論が憲法三八条一項違反を主張する理由は、被告人の自白を内容とする所論検事の聴取書は、検事が帝国銀行椎名町支店強盗殺人事件(以下帝銀事件という。)捜査のため、その取調中に発覚した私文書偽造行使詐欺同未遂事件(以下単に日本堂事件という。)の不当勾留を利用し、不利益な供述を強要した結果成立したものであって、このように理由を異にする他の事件の勾留を利用し、それと関係のない犯罪について被告人を取り調べることは許されないから、これを証拠とした原判決は前示憲法の条項に違反するという趣旨に帰する。

(一)  よってまず日本堂事件の勾留の当否について記録を調べてみるに、被告人は昭和二三年八月二一日帝銀事件の容疑に基づき小樽市において逮捕され東京都に護送された後、同年八月二五日検事の強制処分請求により勾留されたが、刑訴応急措置法八条五号に定める一〇日の期間内には、右帝銀事件について公訴の提起なく、この期間満了の日である同年九月三日検事は右期間中の取調により発覚した日本堂事件につき公訴を提起し、翌四日勾留状の発布を受け、この勾留期間中帝銀事件の取調を行った結果、同年一〇月一二日さらに右帝銀事件につき公訴を提起し、被告人はこれに基づいてさらに勾留され現在に及んでいることは所論のとおりである。しかし原判決の認定した事実によれば、右日本堂事件は被告人が、昭和二二年一一月二五日三菱銀行丸ビル支店において株式会社永田製作所事務員真島日升子が取締役長谷川慶二郎の依頼により同銀行支店から払戻を受けようとした金一万円と右長谷川慶二郎名義の普通預金通帳を騙取した詐欺行為及びこれに引きつづいてこの預金通帳を利用して企てたきわめて悪質巧妙な私文書偽造行使詐欺未遂行為であって、所論のように犯情軽い事件とはいえないのみならず、また所論のように物的証拠が存在し被告人が自白していたとしても、諸般の情況からいって被告人に逃走のおそれがないとは認め難く、身柄を拘束しないで起訴するのを相当とするような事件ということはできない。されば、日本堂事件が勾留を必要としない軽微な事件であるという趣旨の見解に立って、日本堂事件による勾留の不当を主張する所論は、全く当らず、従ってまた勾留が不当であることを前提とする違憲の論旨は理由がない。

(二)  また本件においては、検事がはじめから帝銀事件の取調に利用する目的または意図をもってことさらに日本堂事件を起訴しかつ勾留を請求したと確認するに足る事実は認められず、かえって検事は、帝銀事件の取調中たまたま日本堂事件を覚知し、後の事件について公訴を提起する条件が具わったためこれを起訴し、かつ勾留を請求する必要を認めその手続をとったに過ぎないことを認めるに十分であり、またこの勾留に違法も不当も認められないことは前記のとおりである。されば本件において、検事がまず日本堂事件につき起訴勾留の手続をとった後、帝銀事件につきさらに被告人の取調をしたからといって、これを違法違憲と解すべき理由はなく、また所論のように見込捜査、便法捜査と非難するは当らない。なおこのような場合に、日本堂事件で勾留中の被告人を帝銀事件の被疑者として取り調べたからといって、右取調が直ちに自白の強制や不利益な供述を強要したことにならないことはいうまでもなく両者は自ら別個の問題である。

(三)  また所論は検事が前記のように被告人に対し日本堂事件の勾留を利用し、さらに帝銀事件の被疑者として昭和二三年九月四日より一〇月一二日までの約三九日間連続約五〇回にわたり右勾留中の被告人の取調を行い、その間に被告人が帝銀事件につき自白をするに至ったことは、被告人に不利益な供述を強要したことにほかならないと主張するが、この勾留中に帝銀事件を取り調べたこと自体が違法でなく、またこのことが直ちに不利益な供述を強要したことにならないことは前記説明のとおりであるのみならず、刑事事件の捜査において、その取調の期間回数は、事件の内容によってその程度に差異を生ずることは当然であるから、期間回数のみによって直ちに所論のように「強要」の理由とすることはできない。そしてまた本件被告人に対する検事の取調の経過において、被告人に不利益な供述を強要したような事実は認められないから、論旨はいずれも採用することはできない。

二、次に所論の憲法三八条二項違反を主張する理由は、(一)前記被告人の自白は強制拷問によるものであり、(二)不当に長く拘禁された後のものであり、(三)任意性を欠くものであるというのである。

(一)  まず強制拷問の理由の前提として主張する被告人の特異な性格は、第一審における鑑定人内村祐之、同吉益脩人の作成にかかる被告人の精神鑑定書によれば、結局において、その程度は自己を弁護する能力に支障を与えるほどのものではないと認められるから、被告人の特異な性格そのものをもって直ちに強制拷問の重要な素因とは認め難く、従ってこの点において強制拷問があったと認めることはできない。次に被告人が昭和二三年八月二一日小樽市において逮捕され、同年九月三日日本堂事件で起訴翌四日勾留された後帝銀事件の犯人たることの自白をはじめ、所論の摘示する聴取書(昭和二三年九月二一日ないし二三日)が作成されるまで約一月を経過し、その間論旨摘録の各聴取書に記載されたような検事の取調が行われたことは、認めることができるが、所論引用の聴取書によってその経過を委しく調べてみても、これをもって強制拷問とはいえないのみならず、また他に特別な強制手段を行ったという形跡も認めることはできない。

(二)  次に不当に長く抑留又は拘禁(以下単に不当長期拘禁という)された後の自白であるという論旨について調べてみるに、本件において被告人は、前示のように小樽市で帝銀事件により逮捕され東京都に護送された後、起訴前の処分により勾留されたのは昭和二三年八月二五日(以下年を省略する)であり、その後の取調により発覚した日本堂事件の起訴により勾留されたのは九月四日であるから、日本堂事件による起訴勾留から算えても、被告人が帝銀事件で一〇月一二日起訴されるまでに約三九日を経過していることは所論のとおりである。しかしその間被告人の供述が帝銀事件の中心に触れはじめたのは九月二一日以後であって、原審が帝銀事件の確定的な自白として証拠に挙げているもっともはじめの検事聴取書(第三五回ないし第三七回第三九回)の作成された九月二三日ないし二五日によって計算すれば、起訴前の処分(八月二五日)より約一月、日本堂事件の起訴勾留(九月四日)より約二二日であることが認められる。そして記録によって取調の経過をたどってみると、検事の第一回の取調は八月六日にはじまったのであるが、この間日本堂事件に関する取調の第八回九回一一回(九月一日二日)を除き、はじめの第一回ないし第七回及び第一〇回(八月二六日ないし同三一日及び九月二日)及び日本堂事件の起訴勾留後の取調である第一二回ないし第二七回(九月六日ないし同二一日)までは、被告人の供述は、帝銀事件の中心に触れる事項はこれを否認しながら同時に複雑な虚言を織り交ぜこれが間もなく虚偽であることが判明するような経過をくりかえし、ようやく第二八回(九月二一日)頃から事件の中心に触れはじめたのであって、その後数次の取調を経て前記第三五回ないし三九回(九月二三日ないし同二五日)に至り他の有力な証拠により裏付けられた秩序ある自供がなされ、その後引続き自由な詳細な内容に進んで行ったことが認められる。従ってここに至るまでの取調は、事案の複雑をきわめた内容に加えるに、被告人の著しい特異性格から生ずる虚言癖(精神鑑定書参照)に煩わされ、取調はむしろこれによって日時を要するに至ったことが十分に観取される。そしてまたこの間検事は相当の証人参考人を取り調べたことは記録上明らかである。さればかかる事情の下におけるかかる事案の取調が、起訴前の処分から計算しても約一月約三〇数回を要したからといって、これをもって不当に長いとは認めることはできず、まして日本堂事件による起訴勾留後における約二二日の期間と約二四回ないし二八回の取調回数をもって所論のように不当長期拘禁と認めることはできない。なお右に挙げた被告人の供述(第三五回ないし第三九回検事聴取書)の後、一〇月九日まで約一四日間約二三回にわたる取調が行われているが、すべてすでにあった自白に基づき、その手段も被害者も特異で複雑な本件事案につき、自白がさらに具体的に詳細に進展していったのに過ぎないほか、被告人の独特な感想をくりかえしたのであって、この間における被告人の自白は、それまでの勾留の期間取調の回数によって特に生じたものでないこと明らかであるのみならず、この期間回数を合せて考えてみても、これを不当長期拘禁ということはできない。従ってこの点に関する違憲の論旨はその理由がない。

(三)  次に所論は、被告人の自白が任意性を欠如する理由として、検事が取調に際し、自白をさせるために再び絵筆をとる気はないかといったとか、また肉親に会わせることを条件として自白を約せしめたとかいう事実を挙げているが、記録を調べてみても、検事が所論のように自白をさせるためとか、自白を約せしめたとかいう事実は認められない。また所論は、被告人の自白が誘導訊問によってなされたという趣旨を主張するが、所論の指摘する検事聴取書等について、記録を調べてみても所論のような事実を認めることはできない。

同第二点について。

所論は、原判決の判示事実第一の一ないし三について、被告人がその頃青酸加里を所持していたという事実は、本件を有罪と判断するに決定的な事実であるにかかわらず、原判決が、被告人の第三七回検事聴取書中における自供のほか他に補強すべき証拠なくしてこれを認定したのは、憲法三八条三項に違反すると主張する。しかし所論の第一の一ないし三の各犯行を実行した犯人が同一人であること、そして最後の三の帝銀事件の犯行に、いわゆる青酸加里が使用されたことについては、被告人の自白のほかにこれを確認するに足る多くの証拠が存在することは、原判決の挙げる証拠と判示説明によってきわめて明らかである。そして自白を補強すべき証拠は、犯罪事実の全部にわたることを必要とせず、自白にかかる犯罪が現実に行われたことが裏書保証され、自白が架空のものでないことが確かめられれば足りるとするのは当裁判所の判例(昭和二三年(れ)第七七号同二四年五月一八日大法廷判決)とするところであるとともに、被告人の公判廷外の自白と補強証拠によって犯行事実を認定することができる以上、その犯人は被告人であるとする証拠は自白だけで足りるとすることも当裁判所の判例(昭和二三年(れ)第一三八二号同二四年一一月二日大法廷判決)とするところであるから、この趣旨からいって所論のように、犯行に使用された青酸加里は当時被告人が所持していたという点についてまで、被告人の自白のほかに補強証拠を必要とするものではない。なおまた被告人が青酸加里を入手するに至った日時、場所、経路のごときは、本件においては罪となるべき事実に当らないのみならず、所論のように有罪と断定するに決定的な事実でもないから、原判決がこの点について特に説示しなかったとしてもなんら違法はない。されば所論違憲の主張はいずれにしても理由がない。

同第三点について。

所論は、原判決は判決の結果に影響を及ぼすべき重大な事実の誤認及び採証の法則を誤った違法があると主張するのであって、刑訴四〇五条の適法な上告理由に当らない。

しかし職権をもって記録に基づき所論の各項目につき考究してみるに、(一)所論の犯行に使用した毒物と被告人とを直結する補強証拠を欠くということを前提とする主張の理由のないことは前示第二点に説明したとおりである。(二)所論は、帝銀事件当時被告人が犯行現場に存在し得ないといういわゆるアリバイの主張の根拠として、第一審及び原審の検証の結果による所要時間を挙げているが、記録を調べてみても、所論の事実を確認するに足る証拠を認めることはできないのみならず、かえって原判決の挙げている被告人の自白とその他の多くの証拠によれば、被告人が判示の時刻頃に帝銀事件犯行現場に現われたことを認定するに十分である。かつ所論のように、仮りに被告人が当日午後丸の内船舶運営会に立寄ったとしても、記録に存する資料と所論の検証の結果に現われた所要時間(第一審一時間一一分余第二審一時間七分余)を照合してみれば、被告人が船舶運営会を立ち去ったと推認される時刻頃から判示の時刻頃に犯行現場に至ることが不可能であるとは到底認めることはできない。(三)所論は、安田銀行荏原支店における事件についてもアリバイを主張し、その理由は主として犯行日の一両日後に行われた被告人の長男の結婚式の準備に関することであって、特に祝客が被告人宅を訪問した時間との関係を強調するのであるが、記録を精査しても所論を是認するに足る証拠を見出すことはできない。かえって当日被告人が判示の時刻頃犯行現場に現われたことを証する動かし難い証拠が多数に存在する。原審が前記帝銀事件のアリバイとともに、所論の主張を採用しなかったのは当然であって、なんら採証法則違反も事実誤認も認められない。(四)所論は、犯人と被告人との同一性に関する四〇余名の証言中、その同一と断ずる僅か数名の証言に依って本件を有罪と断じたことは採証の法則を誤ったものであると主張するが、原判決の挙げる証拠のみによっても、明らかに被告人を犯人であると断定する数名のほか、記憶の程度によってその供述は多様であるが、結局肯定する者著しく多数である点にかんがみるときは、事実審たる原審がこれを積極に断定したことは相当であって、採証法則違反というのは全く当らず従って事実誤認があるとはいえない。(そして記録により原判決の挙示していない右同一性に関する証拠を検討してみても、判示認定と反対の結論となるほどに十分な証拠は認められない。)(五)所論は、安田銀行荏原支店の犯行現場に遺留されたいわゆる松井名刺と、被告人が松井本人から受取った名刺の同一性を争うのであるが、記録によって所論の点を委しく調べてみても、特に同一性を疑わしめるような適確な証拠は認められない。かえって原判決の挙示する自白と補強証拠によれば、押収にかかる松井名刺が、右犯行の際使用された名刺であり、かつ被告人が昭和二二年四月頃青函連絡船において松井本人から受取った名刺であることを認めるに十分である。従って原判決になんら採証法則の違反も事実の誤認も認められない。(六)所論は、被告人が帝国銀行椎名町支店より強取した小切手の裏面に記載した架空人の氏名住所の筆跡について、筆跡の鑑定はその確度相当疑うべきものがあるのが経験則であり、かつ本件における鑑定もまた確定的でないのに、これを断罪の証拠としたと非難するのであるが、原判決が証拠として挙げている鑑定を検討してみると、これらすべてを綜合すれば、被告人の筆跡と同一であることを認めるに十分であって、記録に存するその他の鑑定をもってしても到底これを覆すことはできない。従って原審の判断は正当であって採証法則の違反はない。(七)所論は、原判決の判示する本件犯行の動機をもって経験則に反する認定であるという非難であるが、被告人の自白のほか、原判決の挙げる多くの証拠によれば、判示の動機を認定するに十分であって、かかる動機から本件犯行を企図するに至ったと判定してもなんら経験則に反するものではない。

以上のとおりであるから、所論の各項目のいずれについても、刑訴四一一条を適用すべき事由は認められない。

同第四点について。

刑罰としての死刑は、執行方法が人道上の見地から特に残虐性を有すると認められないかぎり、死刑そのものをもって直ちに一般に憲法三六条にいわゆる残虐な刑罰に当るといえないという趣旨は、すでに当裁判所大法廷の判示するところである(昭和二二年(れ)第一一九号同二三年三月一二日判決)。そして現在各国において採用している死刑執行方法は、絞殺、斬殺、銃殺、電気殺、瓦斯殺等であるが、これらの比較考量において一長一短の批判があるけれども、現在わが国の採用している絞首方法が他の方法に比して特に人道上残虐であるとする理由は認められない。従って絞首刑は憲法三六条に違反するとの論旨は理由がない。

被告人の上告趣意について。

所論はきわめて複雑詳細にわたっているが、そのうち憲法違反を主張する部分につき法条の順序に従い次のとおり判断する。

(一)  憲法一二条、一三条、二一条違反を主張する論旨は、検事が取調に際し被告人を欺いて調髪させ、写真撮影を強要したこと、およびUP記者が被告人を訪問した際の質問に対し検事のために自由に答えることができなかったこと等を理由とするものであるが、原判決の判示するところは、所論のような事実はこれを認めるに足る証拠がないか、又は被告人の希望若しくは同意によって行われたというのであって(原判決理由末段被告人の違憲論に対する判断-以下原判決の憲法判断と略称する-一四ないし一七参照)、また記録を調べてみてもその認定に誤りは認められない。されば所論は主張の前提たる事実を欠くことに帰し、適法な上告理由に当らない。

(二)  憲法一八条違反を主張する論旨は、被告人が小樽市において逮捕された後警視庁に護送されるまでの間の取扱いをもって苦役的拘禁であるというのであるが、原判決の認定するところは、原判決の憲法判断五のとおりであるのみならず、所論のいう経過のごときは憲法一八条に定める事項に当らない。

(三)  憲法三三条、三四条、三五条違反を主張する論旨は、被告人が小樽市において逮捕された際逮捕状を示さなかったこと、小樽署及び警視庁に抑留された際その理由及び弁護人の選任を告知しなかったこと、又はその前後における小樽市平沢庄太郎方及び東京都中野区被告人住宅の家宅捜索において令状を示さなかったこと等を理由とするのであるが、原判決の判示するところによれば、いずれも適法な手続を履んでいることが認められ(原判決の憲法判断一ないし四参照)、また記録を調べても、原判決の判断に誤りは認められない。

(四)  憲法三六条違反を主張する論旨は、司法警察官又は検事の取調において拷問が行われたと主張するのであるが、原判決は証拠によって所論のような事実を認めることはできないと否定しているのみならず、その他検事の発問の言葉を捉えて拷問をいうけれども、これをもって直ちに拷問と認めることはできないこと原判決判示のとおりである(原判決の憲法判断七、一二、一三参照)。また記録を調べても所論を是認するに足る事実を認めることはできない。

(五)  憲法三七条違反を主張する論旨は、第一審及び原審において、法廷外の証人尋問に被告人を立ち合わせなかったこと、並びに原審において証人鈴木清取調の際十分に審問の機会を与えられなかったことを理由とする。しかし本件のように被告人が勾留されている場合、裁判所が弁護人に対し証人尋問の日時場所等を通知して立会の機会を与え、被告人の証人審問権を実質的に害しない措置を講じたときは、必ずしも被告人自身を立ち合わせなくても、前示憲法の規定に違反するものでないと解すべきことは、当裁判所大法廷の判例とするところである(昭和二四年(れ)第一八七三号同二五年三月一五日言渡参照)。また記録によれば、証人鈴木清取調の際裁判長は被告人に事件に関連性のない発問を許さなかったことが認められるが、裁判長のこのような訴訟指揮権に基づく処置はなんら被告人の証人審問権を実質的に制限するものでないから、同じく前示憲法の規定に違反するものではない(原判決の憲法判断二四、二五参照)。

(六)  憲法三八条違反を主張する論旨は、要するに被告人に対する逮捕勾留は違憲不法であって、この間に司法警察官及び検事は被告人が帝銀事件の犯人であるという予断の下に、強制拷問脅迫によって自白を強要し、且つ不当に長く被告人を抑留拘禁したものであり、かくして為された自白は無効であるというに帰する。しかし原判決が所論を是認できないとして判示していることは正当であるのみならず(原判決の憲法判断一一、一二、一三参照)、所論の理由のないことは、弁護人の上告趣意第一点について説明したとおりである。

(七)  憲法七六条三項、七七条、九九条(なお同一三条についてもいう)違反を主張する論旨は、すべて前掲各所論において主張する事実を前提とするかまたは原判決の認定に副わない事実に立脚するものであって、その理由のないこと原判決の判示するとおりである(原判決の憲法判断二、五、一七ないし二一、二三参照)。従って原判決は右憲法のいずれの条項にも違反するものではない。

(八)  その他単に憲法違反をいうだけで、具体的に原判決のいかなる点が憲法のいかなる条規に違反するかの主張を明示していない所論または単に憲法の条規を挙げるのみで原判決のいかなる点についてその違反があるかを明示していない所論は、適法な上告理由と認めることはできない。

以上のほか単に原判決の事実誤認又は法令違反を主張するに過ぎない所論は、刑訴四〇五条の上告理由に当らない。そして弁護人上告趣意第三点において説明したとおり、記録によって調べてみても刑訴四一一条を適用すべき事由を認めることはできない。

被告人のその他の書面は期間を著しく経過した後に提出したものであるから判断を与えない。

よって刑訴施行法三条の二、刑訴四〇八条に従い主文のとおり判決する。

右は裁判官全員一致の意見である。

(裁判長裁判官 田中耕太郎 裁判官 井上登 裁判官 栗山茂 裁判官 真野毅 裁判官 島 保 裁判官 斎藤悠輔 裁判官 藤田八郎 裁判官 岩松三郎 裁判官 河村又介 裁判官 谷村唯一郎 裁判官 小林俊三 裁判官 本村善太郎 裁判官 入江俊郎 裁判官 池田克)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例